「楽をせず、立派になる為に」

A. ラジアン池の前で記念写真

 順牧師先生は二度の米国留学、神学校を経て牧師となられましたが、高校入学3ヵ月後に米国に渡られ、日本での高校生活に心残りがありました。しかし、今は同じ高校に入学された息子さんが、日々現在の母校の様子を語ってくれて、高校時代への思いも落ちつかれたそうです。
 使徒パウロは、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言っています。同じ高校を卒業した夫人と二人でT高校の名物「ラジアン池」の前で記念写真を撮ると、息子さんは言いました。「二人とも青年のようですね」

B.聖書より

(21)二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、(22)弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。
使徒言行録14章21〜22節

 パウロは、迫害され自分が殺されそうになった都市に引き返し、回心した異邦人たちを勇気付けました。パウロは、「苦難はまもなく終わる」とは言わずに、「神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言っています。彼は、イエス様が来られたのは、「生活を楽にするためではなくて、人を立派にするためである」という原則に立っていたのです。苦難を通して人は、この世的な幸福の虚しさを知り、イエス様の罪のあがないと、生きた神さまとを知り、天の宝を求め、永遠の栄光が与えられるようになります。(コリント第二4:17「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」)。
 キリスト教の信仰は、迫害や苦難をとおして、生命にあふれたものとなり、また喜びとなるのです。

C. スペインのパイプオルガンを修復した日本人

 スペインのサラマンカ大聖堂には、「天使の歌声」と呼ばれる世界最古のルネサンス様式オルガン(16世紀)が現存しています。200年以上壊れていたこのパイプオルガンを修復したのは、日本人クリスチャンのパイプオルガン奏者・製作家、辻 宏氏です。辻 宏氏は、中学生の時に、神奈川県向ヶ丘の教会で宣教師から洗礼を受け、東京芸大卒業後、オルガン奏者になりますが、ルネサンス期に作られたオルガンの神々しい音色を求め、自らオルガンの製作を始めます。氏は、日本初のオルガン工房「辻オルガン」を設立(1964年)、オルガン製作の修行ため、欧米各国へ頻繁に出かけました。修行の一環として、オルガンを修復するようになると、その腕は徐々に評価を得て行きます。そして1974年、スペインの宝、「天使の歌声」と出会いました。随所が破損しており、殆ど鳴らない状態でしたが、わずかに出た音を聞き、何とか修復したいと願います。しかし、「ふらっと立ち寄った日本人に街の誇りである文化遺産を触らせたくない」というスペイン人の気持ちを十分理解していた辻氏は、自分が直したいと口にするまでに5年以上かかりました。サラマンカに通い続けて、ついに14年後の1988年、スペインから辻氏に、オルガン修復を委託するという正式な返答が届きました。修復費用のために元スペイン大使・林屋栄吉氏が、財界や日本企業に募金協力を呼びかけ、一年で3千5百万円が集まりました。辻氏は1032本ものパイプを修復し、8ヵ月後の1990年3月25日作業は終了、オルガンの奉献式が行われました。誰も成し得なかった偉業をたたえ、1999年、スペイン国王から、スペインに貢献した民間人に送られる最高の勲章・イザベル女王勲章を授与されました。
 スペインに14年間通い続けた間、辻氏はひたすら、「時が来て、神が(自分を)用いられるようになること」を待ち望んだのだといいます。「日本人には触らせない」などと言われ続け、14年も忍耐し続け、スペインの宝を修復した辻氏は苦難を通して、神さまが確かに生きておられることを体験し、キリストの救いに確信をもって天に召されました。辻氏の召天から三ヵ月後、サラマンカ大聖堂で辻氏の追悼ミサを行いたいと申し出があり、外国人では初めての追悼ミサが行われました。

D.結び

 苦難を通して、人は、キリストの罪のあがないと生きた神さまとを知ります。この世的な幸福ではなく、神の国の住人に相応しい性質(聖霊の実)を求めるようになります。神の国の住人に相応しい性質を求め、神さまに祝される生涯を送りましょう。
御翼2010年5月号その2より


  
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